あったぜ、こんなハードコンタクト

ピンホール

もう40年くらい前だから昭和50年頃だと思う。ピンホールというハードレンズがあった。読んで字のごとくレンズの中心部に0.8ミリくらいの丸い穴が開いていた。この穴が針の穴のように小さい穴だからピンホールだ!でも針穴にしては大きかったね(笑)
理論はこうだ、黒目の部分の角膜は新陳代謝のためにたくさんの酸素を必要としている。角膜は無色透明のレンズだから栄養や酸素を運ぶ血管があっては物が見えなくなってしまう。だから角膜は涙液から酸素や栄養をもらっている。ただし酸素透過性を全くないアクリル(その当時のハードは酸素を全く通さないアクリルでできていた)のハードを目に入れると角膜が酸素不足になってしまう。そこで角膜に酸素を供給するためハードコンタクトの中央部に穴をあけて涙液交換と涙液に溶け込んでいる酸素をポンピング作用で交換しようとしたんだな。
これが成功だったか失敗だったかはよくわからない。たしか新宿や銀座にお店があったリッキーという四谷に本社があるメーカーが熱心だったね。俺が印象に残っているのは、このピンホールを使っている患者さんを細隙灯顕微鏡で見ると瞬目をするたびにポンピング作用で涙がこの穴から出たり入ったりしていた。確かにこれなら涙液交換や酸素の供給が可能だと感じたね。でも気になったのはピンホールの穴が完全に丸くきれいに磨かれているのではなく穴の周囲がギザギザしているものが多かったね。時折、ギザギザの穴のところから亀裂が始まっているものも多かった。穴をあける時の加工上の問題なのか、使っているうちに劣化して亀裂を生じたかはわからないが検査のたびに気になったね。

フェザー

これもやはり40年くらい前のハードだがピンホールよりもっと小さな穴が開いたハードレンズがあった。レンズの中央部に近いところに小さな穴が5個開いていた。ピンホールよりずーと小さな穴でこれなら穴の開口部から亀裂ができることはなさそうだった。
細隙灯で見ると穴が小さすぎて涙液の交換がスムーズにできている感じはしなかった。果たしてフェザーは角膜が酸素不足にならない程度にこの穴から涙液や酸素が交換できたのかは疑問だったよ。さらに穴が小さすぎるので穴に涙液中の汚れが詰まり却ってトラブルになりそうな気がしたものだ。これもリッキーさんの作品だったね。

ソフィーナ

そういえば俺もしつこいがリッキーの商品にソフィーナがあった!もう30年以上前だ、昭和60年頃だと思う。ソフィーナは一応ハードコンタクトの分類に入っていたと思うが柔らかくてフニャフニャしていて触った感覚はソフトコンタクトだった。処方はハードコンタクトに近かったと思う。扱い方はほとんどハードと同じで煮沸消毒は不要であった。さらに保存液はソフトコンタクトのような専用の保存液もなかったと思う。ハードコンタクトと同じ手入れでよかったはずだ。目に入れた感じはソフトに近くすぐ慣れられたからソフィーナーにする人は多かったね。でも処方は面倒だったね。はじめのうちはいいのだけど使っているうちにレンズが伸びて曲率半径が大きくなるのか度数的に過矯正になる患者さんが多かった。たぶん素材はシリコン系だったのだと思う。シリコンはゴムみたいなものだから伸びてしまったのだね。
だから1週間後の定期検査や1か月後の定期検査でカーブや度数を交換するケースが多かったと思う。こんなに交換していてメーカーは大丈夫だろうかと余計な心配をしたね。
そんなこともあってかリッキーさんはそれから3年後くらいにチバビジョンに吸収されたように合併してしまった。たしか直営店も新宿と四谷と御茶ノ水と銀座にあったと思う。銀座はコアの5階に入っていてコンタクト屋としては高い家賃で頑張っているな~と思ったものだ。
いまでも時々ソフィーナを探している患者さんに出会うことがある。冬の日向にでてきた幽霊のようで「まだいたんかい~」と驚きと懐かしさを感じたりもする。

オガコン

いろいろ思い出してきたついでに昔オガコンといわれていたハードコンタクトがあった。確かメーカー名は小川コンタクトレンズ研究所だったと思う。PMMAのハードレンズばかりだったが昭和60年ごろに酸素透過性のハードを最後になくなってしまった。渋谷にもお店があったと思うがある事件をきっかけになくなってしまった。

セイコー

ありゃりゃ、なんだかどんどん昔あったハードコンタクトの記憶が甦ってきたね。そういえばセイコーもハードコンタクトを作っていたよ。ポリコン、EX1といった酸素透過性が高いEXハードなんかもあって、高DK値でしなやかな感じで装用感の良い製品だったよ。でも使い捨てコンタクトが増えたせいかクーパービジョンと合併して平成10年ころにはハードの製造はやめてしまったね。ちょっとおしかったね。

東京コンタクトレンズ

昔、高田馬場に東京コンタクトレンズというコンタクト屋があったね。渋谷にもあった。ハードコンタクトとソフトコンタクトだけの扱いだったがいつも超満員だったね。お客さんを紹介すると1枚無料でもらえたから友人を紹介したこともあったな。あのころのコンタクトは1枚7,000円くらいしたから頑張って紹介したよ。高田馬場を通るときは懐かしくなって駅前に大きな東京コンタクトと表示された看板があったところを見てしまうよ。

レンチクラール

無水晶体眼や遠視の強い人向けの加工方法だ。昔は白内障の手術をした後には今のような眼内レンズがなかったので術後はみんなコンタクトレンズにするかメガネにして頑張っていた。ただプラス度数の凸レンズは虫眼鏡と同じで中央部が厚くて周辺部が薄くなる。度数が強いとさらに中央部が厚くなりレンズが重くなる。これがメガネだとさらに重くてレンズを通して見ためが拡大されてぎょろ目になったものだった。

コンタクトレンズの場合は、レンズが厚くなれば瞬目(まばたき)する時に瞼とのひっかかりが強いので異物感が強くなる。さらにレンズが厚いということは重いということでもある。瞬目(まばたき)をすればまぶたに引っ張り上げられたハードレンズは重さ故、勢いよく降りてくることになる。これがまた異物感が強くなる原因だ。だからプラス度数が強くなるとレンチクラールの加工をするのだ。レンチクラールはレンズのプラス度数の光学領域を小さくして

円錐角膜ハードコンタクト

円錐角膜という角膜の病気がある。若い男性に多い、それも17歳くらいから25歳くらいで発生に気がつく。けっこう患者さんを診てきたが、なぜかみんな少しやせ型で真面目そうな雰囲気の人が多い。男女比は5対1くらいで圧倒的に男性に多い。角膜の中心部の頂点が突出してくる角膜の病気だ。円錐角膜とは言うが形状は不正乱視であることが多い。初期は通常のハードコンタクトを処方することで視力の改善が得られる。進行すると突出がひどくなり通常のハードコンタクトでは収まり(安定感)が悪くなり、円錐角膜用のレンズにすることになる。

昔あった普通のハードコンタクト

これは昔からハードコンタクトをしていた患者さんから訊かれる要望だ。昔は普通のハードコンタクトしかなかった。素材はPMMA、わかりやすくいえばアクリルだ。もっとわかりやすくいえばプラスチックのことである。酸素の透過性はO、全く酸素は通さない。今はシリコンやらホウ素を入れて酸素の透過性が抜群にアップしている。でも、やわらかくなって、破損しやすく、汚れやすくなった。今でも昔あったハードを欲しがる人は、頑丈で破損しにくく、汚れにくいアクリルのレンズが欲しいのだ。

研磨粒子入りハードクリーナー

実は今でも販売されているのだが研磨粒子が入ったハードクリーナーがある。ボシュロムのスーパークリーナーやHOYAのピュアクリーナーHなどがそれだ。ハードコンタクトが汚れた時やレンズの表面に汚れの膜ができた時に使うと見事に汚れをとってくれる。ただし、これは使用に注意が必要だ。研磨粒子が入っているのでハードレンズの表面を削ってしまうのだ。スーパークリーナーを長く使っているお客様のレンズを見せてもらったらハードレンズが薄くなって「ぺにゃぺにゃ」だったことがある。恐ろしく薄いハードになっていた(笑)まあ、これだけ均一に薄くこすり洗いしてレンズを薄くできるのは相当なテクニックがあるのだろう。ちょっと感心したものである。でもこの研磨粒子入りのハードクリーナーは注意が必要だ。ハードコンタクトの表面を水濡れしやすいように表面処理をしているハードコンタクトには絶対に使えない。メニコン系のハードやシードS-1などである。以前、大丈夫だろうと思って表面処理したハードにスーパークリーナーをつけて擦ったところ見事にコーティングが剥げてぼろぼろになってしまったことがある。もちろんコーティングが剥がれたレンズは絶対に使うことはできない。※ハードクリーナーの中には「研磨粒子入り」ではなく「微粒子」入りと表示されているものもある。これは、ハードコンタクトの素材のPMMAよりいくらか柔らかい有機粒子が入っているので、コーティングを剥がす可能性は少ない。購入時に表面処理しているハードコンタクトに使えるか確認することが大切だ。

ニチコンうるるUV

少し前まで人気があるハードコンタクトだったがメーカーの日本コンタクトが倒産してしまったため販売が終わってしまった。何故かコアなファンがいていつまでもうるるUVが販売されているところを探しているようだった。メーカーの売りはハードだけどソフトコンタクトのように「みずみずしくて装用感がやさしい」と言っていた。それと右目と左目でレンズの色を違えていて左右がわかりやすいと言うのも売りだった。右目は濃いめのブルー、左目は淡い水色だった。これが便利で購入する人がいたような気がする。ちょっと技術にこだわりすぎるところもあったがけっこう顧客の気持ちがわかる会社だった。